(Bruno Lauzi) - Bruno Lauzi, 1963
日、私はミラノ・オンボーニ通りにあったシルヴェリオ・ピスの家にいた。昼過ぎのことであったか、私たちはこれから休暇でシルヴェリオの別荘があるアルビソーラへ出かけようということになっていた。ベットの上のギターを残して、荷物はすでに玄関へ運び終えた。シルヴェリオは徒歩でタバコを買ってくると言って出て行った。私は一人になった。そこで、机から白紙を取り出して頭に浮かんだ歌詞を書き連ね、ギターを片手にメロディーを起こしてみた。数分後、シルヴェリオが帰ってきたので、書いたばかりの曲を聞かせてみた。「曲のタイトルに『リトルネライ』はどうかな。」と聞くと、「お前は俺をバカにしているのか。」とそっけなく返えされてしまった。ヴァレーセでの休暇の終盤では、平凡な毎日をすごしていた。ある晩のこと、土地を離れる寂しさも出てきたところで、カンピオーネ・ディタリアへ足をのばそうと言う友人に付いていった。彼らがカジノへ行っている間、私は湖沿いの広場の小さな喫茶店で何かを飲みながら時間を潰すことにした。そこに、マルチェッロ・ピカッソという若いジェノヴァ出身の男がいて、シンガーソングライターの曲をギターで弾いていた。私に気がついたのか、一曲歌うように頼まれたため、まず「オ・フリジデイル」を歌ってから続けて「リトルネライ」を披露した。何か、私の中にあった悲しみを表現する方法が必要だったのかもしれない。それは音楽映画のような流れだった。演奏が終わるとレコード会社の人間だと名乗る二人の紳士が私をテーブルに呼び、次の日にレコード会社・アリストンでアルフレッド・ロッシ社長の前で聞かせてほしいと打診される。翌日、ロッシ社長との面会の場には、国営放送局RAIのジャーナリストも同席していて、二人に大変気に入ってもらった。その日私は人生で初めて、本当の契約書を手にその場を後にした。
出典:「タント・ドマーニ・ミ・ズヴェッリョTanto domani mi sveglio」ラウツィ・ブルーノ著2006年セストリ・レヴァンテ(Gammarò Editore - pp. 55-56)
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