E se domani

E se domani(仮訳「もしも明日に...」) 

サンレモ音楽祭に出場する歌については、20年前のものからは全曲を収録したコンピレーションが様々なレコード会社で作られてきました。1960年代そして1970年代の一部については事情が違いました。主要なレコード会社が、サンレモ音楽祭に出場した所属歌手の曲を収録した独自のコレクションを作っていました。しかし、自社だけで7人以上の出場歌手をそろえることは稀であったため、有名歌手の人気の力を借りる必要のある、若手歌手や名が知られていない他の歌手の曲を入れていました。このようにして、有名歌手もまじえた、サンレモ音楽祭の出場曲のカバー曲が実現しました。これは、とどのつまり、音楽祭では歌わなかった歌手によってサンレモ音楽祭の曲が歌われることが多かった、1950年代の伝統を続けようとするものでした。一部のケースとして、特に評価が高かった歌に敬意を表すこともありました。ミーナはサンレモ音楽祭に出場しないことを決めましたが、常に興味を持って出場曲を聴いていました。そして、「E se domani」の場合のように、彼女の個性ある歌い方でカバーすることにより、審査員の不注意のために決勝に進出できなかった多くの曲を救ったのでした。

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